高野山へ

  • 2010/06/22(火) 22:36:22

今日は高野山にある、順教先生の御墓、
腕塚の撮影に行ってきました。


その腕塚には、ホルマリン浸けにした、順教先生の腕が入っているそうです。



万次郎さんは、昔、名古屋の徳川家の御殿様の小姓をしていたそうです。
小姓(こしょう)とは、おとのさまの隣に座っている人です。

(意味ー武家の職名。江戸幕府では若年寄の配下で、将軍身辺の雑用を務めた。)


しかし、女中さんといい仲になり、破門になり、船で大阪に流れつきました。


そのとき、万次郎さんは、御殿様から、妖刀「村正」を授かります。
(妖刀というのは、徳川家で、村正の刀による不祥事が相次いだことから、妖刀伝説が生まれた。そうです)

それを、万次郎さんはいつも大切に手入れをされていたそうです。



話しが変わり、順教先生が十七歳のとき、明治時代ですが、今で言う万博のようなもので、順教先生は、踊りを舞いました。


師匠である万次郎さんは、その舞いを大変誉められ、ご褒美に何でも買ってやる〜
と、順教尼先生と心斎橋に買い物に出掛け、ダイアモンドの指輪を買ってもらったそうです。



その三日後に、先生は、両腕を妖刀「村正」で斬られてしまいます。


斬られた手には、指輪がはめられていたそうです。


もちろん腕は見られませんが、私たちの撮影中、引っ切り無しに、団体の方が腕塚を訪れ、ガイドの方が、腕塚の説明を止まってされていました。


その隣は、柳屋キンゴロウさんの御墓でした。



世界遺産である高野山は素晴らしかったです。



今日の撮影は、これだけ〜の予定だったのですが、
昨日山科にお参りに行かせていただいたときに、九度山大石順教尼記念館の館長さんが来られていて、明日、私たちが高野山まで来るなら近くだからと、なんと、休館日にも関わらず、中を見せて下さるということで、行ってきました。


とにかく、言葉にならないです。


記念館である、旧萱野家は、昔、高野山に行く途中に休まれた家で、先生の使っておられた、食器、筆、など、センスと言うか、素晴らしいものの宝庫でした。


今の私と同じ年齢で得度されましたが、その時に、書かれた般若心経を見ました。


命がけで書いたと言われるそれは、もちろん手でも書けない素晴らしいものでした。


しかし、二十年後に、書かれた般若心経を見たとき、私なりに衝撃がありました。


さらに「心で書いている」と感じて涙が出そうでした。


その般若心経は、日展に入選されたものでした。
どんなプロも、審査員の方さえも、書けない!と言った、金の文字です。


私は、今から二十二年、死に物狂いに何かに打ち込んだとき、叶わないものはない!
そんな思いがしました。


私も得度したつもりで、生き直そうと思います。



先生の部屋に自筆で書いてありました。

「もとは真なり」

記念館の館長さんは、

「いろんなしんがありますよ。
一つじゃない。
信じること
信念をもつことなどね。

もとは、真心ってことですね」

とさらっと言われ、感動しました。


今日もありがとうございました

6月21日に、、

  • 2010/06/22(火) 00:23:22

今、一人で、中川万次郎さんの御墓参りに行ってきました。


明治四十年二月一日が命日です。


しかし、順教尼さんの両方の手を斬ってしまった、人生が大きく変わった事件の日、今日、六月二十一日も、特別な日に感じ、心正して行ってきました。


道を歩きながら、お酒をお供えしたい。

そう思い、カップ入りのお酒を買いました。


御墓の横には、順教先生が腕を斬られた
当時の名前、

「妻吉」


と、彫ってありました。


順教先生は、この妻吉と言う名前が嫌だったと本で読みました。
腕を無くし、みんなからさらしものにされ、苦労してきた名前。妻吉。


順教先生になられてから、
ある高名なお坊さんから

「妻吉と言う名前を大切にするように」と言われ、驚かれます。


まさに、今があるのは、あの妻吉があったからこそなのだと。


私たちは、全て無駄なものや、こと、人など一つもないのだと思います。


御墓を掃除し、
汚れた水入れを、竹で磨き、汚れを落とし、綺麗な水を注ぎながら、
身内のように、万次郎さんの思いはどんなだっただろうか?


順教先生がおっしゃるように嫌な役を引き受けたとしたら、どんな思いなのだろうか?


自分の身内の御墓以上に、その思いを感じたいと、全身でお参りしている自分。


「私は、一体何者?」と言う思いがよぎります。



思わず
「市原猶道の孫でございます」とおじいちゃんを基本に挨拶していました。


帰りしな、万次郎さんに

「また来て下さいね」と言っていただいたような清々しい気持ちでした。


その後京都、山科に向かいました。


今日は、順教尼先生の、月命日でなのですが、
腕を亡くしてしまった先生の生まれた日でもある、特別な日のような気もします。


こうしてお参りさせていただけることに感謝しかありません。