心のデスクトップを掃除しました!

  • 2010/06/25(金) 18:18:39

全てが大丈夫だと、(頭では)知っていますし、そう生きたいと思い、生きていますが、本当にこそのを生きることは

深くてやりがいあることだなぁといつも思いながら、、

そう思えないことも多く、、、でも


やはり、大丈夫なのだと、一つ一つわからせて頂く、出来事を見せてもらいます。


一瞬の何気ないものからヒントをいただきます。



毎日がビジョンクエストみたいです。



具体的に何をしたか!

心のデスクトップを掃除しました!


この五年の間、後回しになっていたことを片付けていきました。


まだまだ始めたところなのに、現実が動き始めるのを目の当たりにし、
出来事が起こるのを止めているのは、自分なんだ!と痛感しました。





自分の心に引っ掛かっていた、過去から貯まっていた支払いをできる限り、払い
(免除になるべきものも、無理すれば払える!と払ったり)


家を片付けて
(子供たちが楽しくなるような模様変えを考えながら)




読もう読もうと、買ってあった大量の本をとりあえず、パッキンにまとめ
(十年ものなどありますが、数年前ピョンキチに出会ってから、ピョンキチか本の情報か分けるため読めなくなりました。だから必要な方に行くように)




もう、先生に戻ることないだろうと思われるアロマテラピーの資料を大量に捨て(情報はつねに新しくなってるから過去は捨てました)



いつか直して使おうと何年もおいてある壊れた電化製品を処分し、



長女が二歳のときに、子供と共にときを刻み、花嫁道具に〜と、ドイツから取り寄せた鳩時計が壊れ、修理が高いのと、修理してくれる店がないため、何年もほったらかしていたけど、
高くても、いつかは出すんだから〜と、探したら群馬に修理先が見つかり
(いつも気にかけている分、エネルギーがもれている)


いらない資料は、捨て、
(余計な知識を分ける)


お返事など書けていなくて、心にずっと積み重なっている「ごめんなさい」の気持ちを、
「感謝」の祈りに変え
(負のエネルギーを変換)

かけた食器を手放し、お客さん用の食器を家族に使うようにし、
(家族によいもの、そしてそれもいつか壊れると言うのを、子供たちと体験しようと)



さらに、よかったのは、五年間、折りたたみ椅子で不親切な姿勢で仕事をし、息苦しかったのに、我慢していたので、椅子を買うことに。

しかし、椅子を買うだけで私には、難しいこと。
選ぶポイントが定まらず!
迷いまくり。

安いもの
座り心地
人のレビュー


いろいろ参考にして、
「どうせ安いんだから、壊れたら、また買いなおせばいい」と思いました。


子供ができてから、選ぶ中心が、
安物買いの銭失いになってるなぁ〜
何も大切にしてないなぁと思いました。


その時、私は十八才の時を思い出しました

専門学校で、あだなをみんなで決めました。

きらきらしたおしゃれできれいな人ばかりの中に私が仲間に入れるのか?

マイナス思考を隠しつづけれるのか、、

そのときにみんなであだなを決めるとき、私は、この名前でみんなと

楽しく幸せにすごす!って決めて「ふ〜」にしました。

そして、そのときのみんなでフリーマーケットに出店した時、

ふと、おしゃれな文具やさんが、、、。


目に止まったのは、「ステッドラー」というブランドにシャープペンシルでした。

私は一人前のデザイナーになるまで、このシャーペンで頑張ろう!って

なぜか、思い、そのシャーペンに話しかけるように

「よろしくね!」と声をかけ、「ステッドラーちゃん」と名付けました。
(そのままです(笑)

で、、、そのシャーペンはこの30数年無くしても無くしても

必ず出てくるんです。

そして今も机のひきだしにいてくれています。


今、ふ〜ちゃんというあだ名も、こうして私とともにいてくれます。

すべてのものが、意識のあるものとして、私を支え、ともに居てくれることをしったのは

この時からでした。

そのときから、そのように、してきた私は、不思議な体験をたくさんし、

そのことの確信は絶対!になったんですが、その話はまたの機会に、、。




そんな私だったのに、いつしか、私は自分もものも大切にするんではなく、

いつしか100円均一の壊れてもオッケイ!使い捨て、、。

メインになっていたのかもしれません。

こどもがいたらとくにそうですね。

そこで、本当にこれから、なにをするにしても私とともに働いてくれる

ものを探すことを、思いだし、やり始めました。



祖母がいつも言いました。

決して裕福ではないはずなのに、物を買う時は

「自分が一番いいものを買いなさい」

っていつも言ってくれたことが、今心に刻まれています。


そんないろんなことで、今やはり自分を大事にし始めた時、

びっくりするほど、たくさんの方が、力をかしてくださり、

私のことをわかってくださったり、と、そんなことを起こっています。

最近聞いた言葉に

「人のことをほっといてでも自分のことをしなさい」

という言葉があります。

やはり自分の内側が調えば、本来、人はいいものだから、人のことを

自然に考えるのだと思います。






「内側が調えば

気配が語りかけはじめ

全てといのちが流れだし

すべてそのまま大調和

見るもの、できごと、全て大丈夫」

昨日の情報の訂正です。

  • 2010/06/23(水) 18:46:53

昨日、高野山での出来事を日記に書きました。

そこで、私の聞き間違いがありましたので、

お詫びして訂正させていただきます。

昨日、、名刀「むねまさ」と書きましたが、、


なんと、妖刀「村正」だったそうです。

本当に何か不思議な因縁を思わせますね。


(妖刀というのは、徳川家で、村正の刀による不祥事が相次いだことから、妖刀伝説が生まれた。そうです)


しかし、大石順教尼記念館は素晴らしかったです。

館長さんの萱野さんのお話は本当に貴重です。

是非、みなさん、行ってみてくださいね。


http://www.jyunkyo.jp/022bukkouin.html

高野山へ

  • 2010/06/22(火) 22:36:22

今日は高野山にある、順教先生の御墓、
腕塚の撮影に行ってきました。


その腕塚には、ホルマリン浸けにした、順教先生の腕が入っているそうです。



万次郎さんは、昔、名古屋の徳川家の御殿様の小姓をしていたそうです。
小姓(こしょう)とは、おとのさまの隣に座っている人です。

(意味ー武家の職名。江戸幕府では若年寄の配下で、将軍身辺の雑用を務めた。)


しかし、女中さんといい仲になり、破門になり、船で大阪に流れつきました。


そのとき、万次郎さんは、御殿様から、妖刀「村正」を授かります。
(妖刀というのは、徳川家で、村正の刀による不祥事が相次いだことから、妖刀伝説が生まれた。そうです)

それを、万次郎さんはいつも大切に手入れをされていたそうです。



話しが変わり、順教先生が十七歳のとき、明治時代ですが、今で言う万博のようなもので、順教先生は、踊りを舞いました。


師匠である万次郎さんは、その舞いを大変誉められ、ご褒美に何でも買ってやる〜
と、順教尼先生と心斎橋に買い物に出掛け、ダイアモンドの指輪を買ってもらったそうです。



その三日後に、先生は、両腕を妖刀「村正」で斬られてしまいます。


斬られた手には、指輪がはめられていたそうです。


もちろん腕は見られませんが、私たちの撮影中、引っ切り無しに、団体の方が腕塚を訪れ、ガイドの方が、腕塚の説明を止まってされていました。


その隣は、柳屋キンゴロウさんの御墓でした。



世界遺産である高野山は素晴らしかったです。



今日の撮影は、これだけ〜の予定だったのですが、
昨日山科にお参りに行かせていただいたときに、九度山大石順教尼記念館の館長さんが来られていて、明日、私たちが高野山まで来るなら近くだからと、なんと、休館日にも関わらず、中を見せて下さるということで、行ってきました。


とにかく、言葉にならないです。


記念館である、旧萱野家は、昔、高野山に行く途中に休まれた家で、先生の使っておられた、食器、筆、など、センスと言うか、素晴らしいものの宝庫でした。


今の私と同じ年齢で得度されましたが、その時に、書かれた般若心経を見ました。


命がけで書いたと言われるそれは、もちろん手でも書けない素晴らしいものでした。


しかし、二十年後に、書かれた般若心経を見たとき、私なりに衝撃がありました。


さらに「心で書いている」と感じて涙が出そうでした。


その般若心経は、日展に入選されたものでした。
どんなプロも、審査員の方さえも、書けない!と言った、金の文字です。


私は、今から二十二年、死に物狂いに何かに打ち込んだとき、叶わないものはない!
そんな思いがしました。


私も得度したつもりで、生き直そうと思います。



先生の部屋に自筆で書いてありました。

「もとは真なり」

記念館の館長さんは、

「いろんなしんがありますよ。
一つじゃない。
信じること
信念をもつことなどね。

もとは、真心ってことですね」

とさらっと言われ、感動しました。


今日もありがとうございました

6月21日に、、

  • 2010/06/22(火) 00:23:22

今、一人で、中川万次郎さんの御墓参りに行ってきました。


明治四十年二月一日が命日です。


しかし、順教尼さんの両方の手を斬ってしまった、人生が大きく変わった事件の日、今日、六月二十一日も、特別な日に感じ、心正して行ってきました。


道を歩きながら、お酒をお供えしたい。

そう思い、カップ入りのお酒を買いました。


御墓の横には、順教先生が腕を斬られた
当時の名前、

「妻吉」


と、彫ってありました。


順教先生は、この妻吉と言う名前が嫌だったと本で読みました。
腕を無くし、みんなからさらしものにされ、苦労してきた名前。妻吉。


順教先生になられてから、
ある高名なお坊さんから

「妻吉と言う名前を大切にするように」と言われ、驚かれます。


まさに、今があるのは、あの妻吉があったからこそなのだと。


私たちは、全て無駄なものや、こと、人など一つもないのだと思います。


御墓を掃除し、
汚れた水入れを、竹で磨き、汚れを落とし、綺麗な水を注ぎながら、
身内のように、万次郎さんの思いはどんなだっただろうか?


順教先生がおっしゃるように嫌な役を引き受けたとしたら、どんな思いなのだろうか?


自分の身内の御墓以上に、その思いを感じたいと、全身でお参りしている自分。


「私は、一体何者?」と言う思いがよぎります。



思わず
「市原猶道の孫でございます」とおじいちゃんを基本に挨拶していました。


帰りしな、万次郎さんに

「また来て下さいね」と言っていただいたような清々しい気持ちでした。


その後京都、山科に向かいました。


今日は、順教尼先生の、月命日でなのですが、
腕を亡くしてしまった先生の生まれた日でもある、特別な日のような気もします。


こうしてお参りさせていただけることに感謝しかありません。

祈りの探求

  • 2010/06/20(日) 22:52:27

日々、自分の中で、

おじいちゃん性???

みたいなのが育っているのがわかります。



おじいちゃん性と言うのは、お坊さんだったおじいちゃんが

私の目を見つめ

「お前があととりだ」

と言い続けてくれたことで根づいた感覚です。





祈りは、聞き入れられる。


自分の思った方法でなくても、、。


それが連日起こり、周囲もびっくりするような


ことが起こり続けています。


つまり、「こうする!」

って決めたら、

そうなるメール、電話、人との出会い、申し込みなど

連続するのです。



喫茶店でも、注文しないと飲み物は出てきません。


人生も同じなんですね。


我力で疲れ、しんどくなったときまた祈り始めました。

「天が期待していることを実現させてください」と、、、。




すると、また自分が進む方向がはっきりしてきました。

面白いですね。


祈り、、というものがこの世に用意されていて


本当によかった^^



村上和雄先生は

「最後には神様にもたれる生き方をできることが自分の強みだった」

そのようなことをおっしゃっています。



もたれる、ゆだねる、、

決して自分がなにもしないわけではなきんです。


この探求、、、おもしろいので、続けます^^